harunoame

きんきと映画とアニメと本の話

恋するおんなのこ

11月は思春期のおんなのこ同士の関係性を扱った映画を3本観ました。

・リズと青い鳥 

liz-bluebird.com
・少女邂逅

kaikogirl.com
・カランコエの花

kalanchoe-no-hana.com

 最後のカランコエの花はLGBTへの理解を促進する目的をもった思想性の高いものなので、他の2作品とは趣きが異なるのですけど、何が違うのかを詰めて考えると「恋」とは何かという話になってしまうように思います。

 感覚的に、百合は関係性の「できごと」であって、レズビアンという言い方は個人の性質を指す単語という感じがするのですが、そうすると、これは映像の作り手がどちらを意識して撮っているかの問題なのじゃないかと思います。
 私はどちらも同じもののように扱いたいと思う。性や嗜好だってそのとき、そう思っている、そう思い続けているという「できごと」だと思うから。わかんないけど。

 このごろ「恋」について考えます。
 私は、ふたりの関係性をふたりの世界で育んでいくような関係、排他的で、相手への思いやりとわがままと同意と妥協で以て影響しあってふたりともが変化していく関係が好きです。そこに「萌え」る。やおいにも百合にも商業誌BLにも、ずっとそういう内容を期待して読んでいたし、書きたいと思う。
 そして、長い時間を掛けて互いに離れがたく思うようになるのが「愛」だと思っています。殆ど「執着」みたいな愛。めっちゃ好き。

 けれど、じゃあその相手とどうして出逢うのか、愛する相手を決める意思は何処からくるのか考えてみると、そこに「恋」があるような気がする。この人だと選ぶ瞬間に理屈はないのかもしれないと、ふと思った。
 互いしか居ないような環境なら、恋がないまま愛になることもあるかも知れないけれど、それでも、彼が唯一無二の存在である、という意思を選択をする瞬間は必ず在って、そこにある感情に名前をつけるなら、きっと「恋」のような気がします。

 カランコエは社会に一般的ないわゆる「恋」を知っているおんなのこ子が、おんなのこに「普通の」恋をしているのだけど、リズも少女邂逅も、相手に抱いた感情に名前はないけれど、きっと恋だったのだと思う。