harunoame

情報学と映画とアニメと本の話

透明な図書館

ロラン・バルトの『透明なエクリチュール』を思い出した。私が図書館の理想の姿を考えるなら、“透明な図書館”というイメージが近いかも知れない。学び始めの一つの感覚をメモするようなかたちで、そう思ったことを記録しておこうと思う。

のろのろとテキストを読んでいるなか、UNIT5 生涯学習に、次の項目があった。

・生涯学習に資する図書館

この項目には、生涯学習の理念が一般市民の権利として機能するために公共図書館に整備されている(或いはされると良い)機能が箇条書きになっている。

が、私にはどうしても「それは必要ないのでは…」と思える項目がある。それは、このテキストの著者に(そしておそらく図書館協会にも)何となく感じる違和をかたちにしたもののように思えた。

解説を略して項目のみ引用すると、

(1)資料や情報の提供を通して個人の学習を支援する
(2)学びの疎外を生まないアウトリーチ活動の追求
(3)資料の共有を媒介とする集会・文化活動
(4)各種学習プログラムへの資料補給
(5)地域における生涯学習期間で継続的に学ぶ人々の学習センター
(6)総合的・系統的生涯学習プログラムの一環を担う
(7)生涯学習の基礎能力を培う事業の企画と実施
(8)学校(図書館)との連携,支援
(9)地域課題等についての情報発信
(10)図書館づくりへの住民参加の尊重

このうち、私が大事だと思うのは(1)(4)(8)である。
主に個人学習や学校や生涯学習プログラムへの資料提供が、図書館の役割の中核だと私は思う。この求めに応じた資料提供に、思想的偏りは発生しようが無い。
(5)は(1)と殆ど同じ項目で、立地によって近くの生涯学習センターが扱っている内容の資料を揃えるぐらいの配慮が考えられる。その程度だ。

次に、補助的にでも図書館も関わる立場にあると考えるのが(2)と(7)である。図書館の理想的な利用は、“生涯学習の理念を身につけた市民”を前提にしている。学習の推進は、図書館の土台であると思うからである。

(3)の集会や文化活動の企画、(6)のプログラム構成に携わる活動は、図書館の範疇を超えていると私は思う。企画した市民に場所を提供する程度が限界ではないか。企画や文化活動は主催者の思想が反映される事が避けられない。利用者の興味の対象が十人十色であると認識すれば、企画や文化活動の思想的偏りは、利用者への公平を欠くように思う。(6)は(3)の活動を何らかのかたちで学習施設のプログラムに組み込むという項目であって、図書館がそれ行う必然性がない。

(10)の図書館作りに住民が参加する項目は、感情的に言って嫌。公共施設として貫かれた理念のもとに一律に運営されるのが筋だと思う。図書館は一部の声の大きな住民のものではない。図書館は図書館につよく参画しない利用者に対しても平等であって欲しい。図書館学を学ぶ者ではなく、図書館の利用者として切実にそう思う。

図書館は“特定の情報を人に教える”施設ではなく、“求められた情報を提供する”施設だと、学び始めた今はそう思っている。

とはいえ(9)の、住民生活に基づいた地域共通の問題に関して発信することは、そんなにわるい項目では無いようにも思うから私にも恣意的な点がある。結論は保留。

図書館概論 (JLA図書館情報学テキストシリーズ 3-1)

図書館概論 (JLA図書館情報学テキストシリーズ 3-1)